大学受験生必見!!夏休み世界史講座 オリエント世界編
1章 オリエントと地中世界
□1 古代オリエント世界
オリエント世界の風土と人々
オリエントとはヨーロッパから見て「日の昇るところ」を表す。
高度なオリエント文明はティグリス・ユーフラテス川とナイル川など大河流域で生また。ティグリス・ユーフラテス川の流域のメソポタミア文明では、前3000年頃から都市文明が栄えた。ナイル川ではエジプト文明が栄えた。メソポタミア文明とエジプト文明の中間の、シリア・パレスチナ地方は中継地として文化を形成していった。
オリエントとは今日でいうところの中東を表し、前7000年紀の肥沃な三日月地帯における農耕・牧畜の開始に始まり、大河の治水・灌漑農業をの指導をするため、宗教の権威によって統治する神権政治が出現した。
シュメール人の都市国家
メソポタミアの南部では、前3500年頃から人口が急増し、大村落が成立し文字・銅器・青銅器など金属器が普及した。
前3000年頃には都市へ発展し、ウル・ウラクなどシュメール人の都市国家が多く形成された。都市国家では王を中心に神官などが政治や経済・軍事の実権を握っており、階級社会が存在した。しかし前24世紀にはアッカド人によって征服された。
メソポタミアの統一と周辺地域の動向
アッカド人はメソポタミアやシリアの都市国家を最初に統一した。崩壊後はアムル人がバビロン第一王朝をおこし、ハンムラビ王の時に全メソポタミアを支配した。
ハンムラビ王はハンムラビ法典を発布し、「目には目を、歯には歯を」という復讐法という刑法をつくった。
バビロン第一王朝を滅ぼしたのは鉄製の武器を使ったヒッタイト人であった。バビロン第一王朝崩壊後、カッシート人はバビロニアを支配した。ミタンニ王国もシリアへ進出した。
シュメール人は楔形文字を生み出し、最古の神話「ギルガメシュ叙事詩」を残した。また六十進法や太陰暦を使用し、天文・暦法・数学・農学をはじめとする学問を発達させた。
問題
1「太陽の昇るところ」という意味で、古代ローマ人はなんと呼んだか。
2メソポタミア文明が栄えた川の名前
4「目には目を、歯には歯」という復讐法を定めたのは誰か。
1オリエント 2ティグリス・ユーフラテス川 3シュメール人 4ハンムラビ王
以上で今日の授業は終わりです!
最後の問題は何問解けましたか?暗記問題は何回も繰り返すことが重要です。
継続は力なり!!ですよ~